「外国語の語学力は、結局母国語の語学力に比例するものなのに…(外国語の重要性ばかり説いても仕方がない)」
という言葉を目にしました。

確かにそんな気もします。
どちらの力も一朝一夕では身につかないし、
小手先でどうにかなるものでもないと思います。

勉強に王道がないというのは、小手先やテクニックに走るよりも、
色々とやってみて長い目で見て力をつけていくことが大切っていう意味でしょうか。


受験の話だと現代文が結構不得意だったりするので、
できるようになりたいなぁと思ってます。

コメント

まう
2008年11月26日12:01

城崎さん

こんにちは、まうです* 
私は、一応2言語(+英語は社内事務程度~^^;)を話しますが、
母国語の重要性は、多くの言語を話すようになればなるほど高くなると感じます。
説明がとても難しいのですが、話したり考えたりする時には、もちろんいちいち頭の中で母国語への変換などは行いませんが、普段の会話において言語をミックスして話を成り立たせる習慣が付いてしまうと(現アメリカ大統領オバマ氏の自伝にもありますが、多言語の国際社会ではこのような現象がよくおこります)、一つの言語で完全に自分の考えや主張をまとめられない・伝えられない、という事にもなります。
それは、とても不便な事で、自分の思考の中で確立されたコミュニケーションツールを一つも持たないというのは色んな面で不安定な状態になります。
私の友人らは仕事上3各国語必須で、5ヶ国語を話す人も珍しくはありませんが、彼らの中には、上に書いた様な、完全な母国語を持たない人も居ます。そういった人の場合、やはり、どの言語もいまいち突っ込んだ議論の時には自分を主張しきれない歯がゆさがあるように見られます。

なので、城崎さんが今回日記に書かれている事は、語学の学習という面において大変重要な意味を持つ事実だと、私も思います。

と・・・長々とやたら偉そうな事をのたまいましたが(><;スミマセン)、
別に、「言葉」は勉強ではない(と私は思っている)ので、「語学」としての試験勉強方法とコミュニケーションとしての外国語を学ぶ方法とは全く別だと思います。
試験には、試験用の勉強方法がやはり必要だし、
実際話すには、コミュニケーションとしての習得方法がまたあるんだと思います。
今回の話は、どちらかというと、後者の視点かなーと感じたので、「受験」という事になるとまた違うかも!? と思って、図々しく書き込んじゃいました。

うるさくしてゴメンネ* 許して~(*^w^*;)

まう

城崎
2008年11月30日23:09

>まうさん
こんばんは。お久しぶりです!!

母国語を「自分の思考の中で確立されたコミュニケーションツール」と表現されていましたが、
とっても興味深い表現だなぁと思いました。
それに関わるかは分かりませんが、
ヒスパニックの方が、アメリカでもスペインでも言葉の乱れを指摘されるため、
アイデンティティを否定されている気になる…という文章を読んだことがあります。

自分の中にあった外国語を学びたいという気持ちが、
なぜかそのまま日本語を学びたいという気持ちと重なるという不思議な感覚になりました。
志望校の外国語学部には日本語学科もあるのですが、そちらへの興味がとても沸いてきています。
あと、何となくですけど…
やっぱり日本語の軸がしっかりしてる人の方が受験においても強いような気がします。
自分については勉強も習得もどっちも努力しないとダメなのは事実です^^;

というかまうさん、
お仕事もご家庭のほうもどちらもとっても輝いているような気がしてなりません!!笑
うるさいなんてとんでもないです…貴重なコメント有難うございました!!

まう
2008年12月2日15:39

城崎さん*

めっちゃ出没率高くて失礼してます(/w\*)

>現代文が苦手
>日本語の軸がしっかりしてる人の方が・・・

の所で思い出したので。我が家の旦那さまも、最近全く同じようなことを言ってました!で、今は英語のディベートで苦戦してます(^^;)
(まぁ、私は英語はチンプンカンプンなので(汗)適当に「a ha~, u hu~m」とか言って逃げておりますが・・・。)

城崎さんはなんだかウチの旦那さまに似てる気がして、「彼が年頃の頃はこんな感じだったのかしら(´∀`*)ポポ」と勝手に妄想して、いつも釘付けです。←何
これからも応援してますー!

まう

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